ブロックのロボット教室で出会う生徒の話です。
ロボット教室ではまず生徒が、前の月につくったロボットを1個1個の部品になるまで分解します。
それを確認して当月分のテキストを渡します。
テキストを見て、生徒は各自で部品を揃えて順番につくりはじめます。
中には、不思議なふるまいをする生徒がいます。
いつまでたっても分解をしないで、ほかの生徒にちょっかいを出しています。
分解は、手伝っているうちに終わりますが、作りはじめません。
そして、授業時間内に終わるにはそろそろ集中してやらないと間に合わないタイミングで席に戻ってきて、
「どうせ僕、完成できひんもん。もう間に合わへんもん」。
このタイプの生徒には何人も出会ってきました。
最近のできごとです。
「どうやったらできる?」と聞いたら、「全部作ってくれたら」と答えが返ってきました。
「さすがに全部は無理だけれど、できるだけ一緒にやろう。ぜったいに力になってやろうと思って今日来たから」と返しました。
「ロボット教室に入会して長いし、やってきているのを見ているから、つくる力はあると思っているよ」と添えて、手伝うようにしました。
その結果、椅子に座ってロボットつくりをする時間が長くなりました。
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生徒が、「どうせ僕にはできひん」と言うことに慣れてしまうと、
「自分はできない人」というレッテルを自分で貼っていることになり、
しまいにはレッテルだけでなく、
「自分=できない人」と自己認識し、一体化してしまいます。
これがロボット教室のロボットつくりだけだったらいいのですが、
すべてのことに「できない人」と思い込むようになって、本当に「できない人」になってしまいます。
その結果、自己肯定感、自己効力感が低くなり、
簡単にできること、手順を考えなくても済むようなその瞬間だけでできる遊びしかやろうとしなくなります。
学校の勉強も、本人の素質としてはできる力を持っていても、
最初からあきらめているので理解できなくなっていきます。
それがあきらめる習慣になり、気力がなくなり、学力や能力が低下していきます。
自分で書いた人生脚本の悲劇の主人公になり、演じ続けることになります。
恐ろしいことに、
自分が「できない人」を選んでやっているとき、
周りから「できない人」と言われると、
望んでいたことがかなえられたことになり、
むしろ満足を感じることになり、
ますますその思いが強化されていきます。
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怖いですね。
自分が生徒の立場だとしても、自分一人の力では抜け出せないでしょうから怖いですね。
そこで、周りの人が別の結末の芝居に向かうようにするセリフが、
「どうやったらできる?」です。
本人は「できない人」になじんできて、
居心地がよくなってきています。
人にとって、変えることはチャレンジで、結果がどうなるかわからないため、
「変えること」よりも「続けること」を選びがちです。
「どうせ僕にはできひん」と言って何もしない方が、
危険を冒さなくて済むし、何もしなくていいので楽なのです。
ロボット教室まで自分でやりたいと言って通うようになって、それで何考えて行動しているんだ、
と思いますが、人はそういうものです。
ただし、ロボット教室は学校とは違います。
テストの点数が上がることや知識が増えることより大事なことに取り組むロボット教室です。
私は見捨てません。
「やりたいこと」を持ってもらいたいし、
実現のための行動を考えてもらいたいし、
多少大変でもやってもらいたいし、
一つ一つできるようになっていってもらいたい
と思っています。
苦手なことは苦手じゃなくなるように練習してもいいし、
助けを求めてもいいのです。
小さい子供のように
「面倒くさいことは何でもやってもらおう」
ではダメだけれど。
「どうやったらできる?」は、
単に「助けるよ」という意味ではなく、
本人が望まないのにゴールまで代わりに走って送り届けるのでもありません。
「見捨てないよ。味方だよ」というメッセージです。
人はそれだけで変われます。
自分でやりたいんです。
一人の力ではできないことは助けてほしいのです。
いざというときに手を差し伸べてくれる信頼できる人がいると安心なのです。
安心したら、人は行動できるのです。
行動をはじめたら、できることが増えていくのです。
おまけとして、
繰り返し「どうやったらできる?」と問いかけられ続けると、
「どうせできない」という口癖が、「どうやったらできる?」に変わり、考え方も変わっていきます。
「どうせ僕にはできない」という人生脚本の主人公も居心地がいいんだけど。
※ロボプロの「やってみよう」の問題に取り組まないのも、同じですよ。
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