岐阜市に「不登校児専門公立中」開校。除幕式で会場を涙させた京大准教授のスピーチ
https://forbesjapan.com/articles/detail/40608
リンク先の記事にこのようなことばがあります。
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私が、世界中、それから日本中、理想的な学校がどういうところなのかというのを調べる中で、魅力的な学校に共通すると感じることがあります。それは、「学びの選択肢がたくさんある」ことです。好きな場所で学ぶことができたり、好きなことを学ぶことができたり、学ぶ内容を選べたり、さらには学びの設計図である「時間割」を先生と一緒につくることができる学校こそが、子どもたちにとって本当によい学校なのではないか、と思うようになりました。
しかし、子どもたちがこれを選ぶというのはなかなかに難しく、しかも、そういう環境はほとんどありません。大人は、時間割も、教室も、担任の先生も、9教科も、よかれと思って子どもたちに与えます。子どもたちに必要だと思うから与えるのです。
でもこれを子どもたち自身が自分で選べるチャンスというのは、どうすれば作ることができるのか。みんな同じように同じペースで学ばないといけない、これができることが、大人になるために必要だと大人は考えます。そのためには我慢をしないといけないし、耐えなければならない。
しかし、本当にそうでしょうか。我慢して、耐えることだけが、子どもたちに必要なことで、これを6・3・3の12年間、さらに4年間足して16年間耐え続けられた人だけが大人になれるのでしょうか。
私は、そうでない場所、を作ることが大事だと思います。
子どもたちが勘違いしている言葉の一つに、「義務教育」という言葉があります。子どもたちのほとんどは、学校に行かなければいけない義務だと感じています。どんなに苦しくても、どんなにしんどくても、行かなければいけないのが義務教育だと勘違いをしています。
(リンク先より引用)
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「学ぶ」ってことは、
「ガマン」して「周りの人に合わせる」ことではありません。
そのトレーニングするのも、「学ぶ」ではありません。
扱いやすい子供を作るために、大人が決めた呪文です。
「何のために学ぶか」
それは、自分で決めてください。
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