[9月に発送した便りです]
「ロボットやプログラミングなら自分にできそうな気がする。おもしろそう」
「思い通りに、ロボットを動かせるようになりたい」
と、はじめたころの自分を思い出しましょう。
そして、何を経験してきたか、いま何をどれだけできるようになったか、指折り数えて自信を持ちましょう。
【「なぜ勉強しないといけないのか?」に答えはあるか?】
「ロボットとは、自分(人間)が考えた動きを上手によい加減で動くようにプログラミングした機械」です。
だから、プログラミングの「正解」は、自分が決めたらいいのです。
ロボット教室って、学校とは直接関係ないのに、「なぜ僕は勉強しないといけないのか?」という質問に答えようとしているかについて最初に書いておきます。
念のために、これから書くことの前提を記しておきます。学校の勉強は大事だし、入試のための勉強もキミのためのものだから、がんばってクリアしてほしいと思っています。学校のカリキュラムも、生活に必要なことが適度にそろえてあってそれほど悪いものではありません。
「学校の勉強がイヤだ」と、もし思っているとしたら、たったひとつ理解できないことがあったのが今まで続いているか、「友達がそう言っているから」とほかの人の考えに乗っかっているだけのように思います。
教科書のレベルが合っていなかったり、先生の教え方が適切でない可能性もありますね。または、「楽(らく)したい」と思っているのかも。
自分がやりたいことについて、苦労を苦労と思わずにやることが私たちが「生きる」ということ。だから、自分の考えや決断を大切にしてもらってこなかったと感じるように代わって決められていたため、「やりたいこと」がわかっていなくて、ねだって与えてもらうものと感じているのかもしれません。
『自分が選んだ「やりたいこと」のために、自分が勉強している。ちょっと大変だけれど』と、まだなっていないのかもしれないのでしょう。
その上で、
ロボット教室は学校の勉強とは直接関係しないし、学校のテストの点数がアップしたとわかるものでもありません。
それでも、「ロボットのことを本格的にやりたい」と思って通ってきてくれているし、
学校の成績と直接関係ないからこそ、
損得も無関係で、だましてやらせるということもないので、「なぜ僕は勉強しないといけないのか?」という質問を一緒に考えるにはいい場だと思っているのです。
(ロボット教室は中立地帯ではあるし、信頼してもらっている場所なので)
「ロボットを本格的にやりたい」って言うのは簡単です。
実際には、取扱説明書の通りにやればいいだけでも、遊べるところだけやればいいわけでも、自分がわかるところだけをやっていればわけではなくて、
「新しいことを学んで」
「動かしてみて」
「考えて」
「『あーっ、そういうことか』と理解して」
「理解したことを使ってテキストに書いていないことをやってみて」
をするのが、「ロボットを本格的にやる」ということ。だから、ロボット教室のテキストには、知らないこと、新しいことがどんどん出てきます。
必死になってくらいついて、先生に質問したり、質問するのがこっぱずかしかったら一人で奮闘したりすることです。
これが、「ロボットを本格的にやる」ことだし、『勉強する』ということです。
テキストに書いている通りの手順でやってみて、動いたらOKというのは、「経験した」とは言えても、「勉強した」とは言えません。
ロボット教室で必死になっていても、そんな姿を見て誰も笑わないので、安心してください。
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「なぜ僕は勉強しないといけないのか?」という質問にもう一度戻ります。
「なぜ僕は勉強しないといけないのか?」と思いながら勉強するのは嫌でしょう。
言われたまま計算できるようになって、何かを覚えて、テストの回答欄を埋められて点数を取れたとしても、それは高校までです。
大学から先や社会では、正解が決まっていて回答ができる問題を出してくれる人はいません。
そうなると、「せっかく今まで我慢してやってきたのに」となってしまいます。
さらにこの質問は、不思議な質問です。
自分の行動は自分で決めるものですが、質問の言い方からすると、誰かから命令されてやらされているように聞こえます。
例えば鶴を1,000羽折るなどは命令されて行動できても、「考える、工夫する、理解する、覚える」などは命令されてできるものではありません。
自分の行動は、自分が決めたことなので、「勉強する」というのは自分が決めたことです。そうだとしたら、質問する相手は、自分自身です。
それに、やりたいことがある人は、勝手に勉強しています。
だから、おかしな話なのです。本当はね。
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私の頭で考えているだけだと限界があるので、辞書を調べてみました。
『小学館 精選版 日本国語大辞典』より関係ある項のみ引用しています。
がっ‐こうガクカウ【学校】
一定の設備と方法によって、教師が児童、生徒、学生に継続的に教育を施す所。
きょう‐いくケウ‥【教育】
①(━する) 知識を与え、個人の能力を伸ばすこと。現代では、一定期間、計画的、組織的に行なう学校教育をさす場合が多い。
ち‐しき【知識・智識】
②(━する) 理解すること。認識すること。また、その内容や事物。
③知っている内容。知られていることがら。
のう‐りょく【能力】
①物事をやり遂げることのできる力。事をなし得る力。有効にはたらく力。はたらき。才能。
べん‐きょう‥キャウ【勉強】
③将来のために学問や技術などを学ぶこと。学校の各教科や、珠算・習字などの実用的な知識・技術を習い覚えること。学習。また、社会生活や仕事などで修業や経験を積むこと。
もっともらしいことが書いてあるので、文句を言ったらいけない気がします。
でも、ツッコミを入れないと、それを正しいことと受け入れたことになるので、気になることがあったらどこでもいつでもツッコミを入れましょう。
私が「ホントか?」と思ったのは、教育のところに書いてあることば
「知識を与え、個人の能力を伸ばすこと。」
確かに学校はこれをしてくれているとは思うけれど、何か足りないと思いませんか?
生徒にやる気、興味、関心があることを前提に書かれています。
やりたいことがあって、やる気が出ます。
それとも養鶏場の鶏たちのように詰め込むというのでしょうか。
先生は、生徒自身がやりたいことを見つけて育てるサポートをすることが大事だと私は考えます。
知識を“与えて”、能力を付けさせたり、伸ばしたりということは、
他人(生徒)の人生の目標を勝手に決めて、教え込んで、どの程度できたか評価すると言っているように感じられます。
先生と生徒の関係でも、踏み込みすぎです。
私が書き足すとしたら例えば、
・生徒がやりたいことを探すサポートをする。
・生徒がやりたいことを進める際に「困ったとき」や「やる気が減ったとき」に解決するサポートをする。
・生徒のやりたいことに授業内容がどのように役立つか、生徒が考える習慣をもてるようサポートする。
・生徒のやりたいことと能力のレベルに応じて知識を与え、必要な能力を持てるようサポートする。
などが必要です。
・生徒本人の意思。
・能力を伸ばすための行動も生徒自身によること。
・先生はサポートに徹すること。もしくは見本となる。
偉くなっている研究者の先生は、「夢中になっていたら、生徒は勝手に学び、実力がどんどんついてくる」と言いがちです。
そのことばは正しいけれど、そのストーリーに載れないタイプの生徒もいます。
「勝手に学び」で、本当に学べる生徒の割合は多くないでしょう。
そもそも、「夢中になれるもの」が見つかっていたら、それはとてもラッキーなことです。学校の成績が良くても、夢中になれるものを見つけきれていない生徒もいます。
「なぜ僕は勉強しないといけないのか?」という質問の答えは、
生徒へ:自分でやりたいこと、夢中になれることを探せ!そして、勉強しな!
先生へ:人はやりたいことや、大切にしたいことになかなか気づけないし、くじけたり気が変わったりするものだから、やりたいこと、大切にしたいことをていねいにサポートした上で、やりたいことを実現するため知識や能力が使えるようにサポートしてあげてください。
「生きることは、勉強すること」だから、実質の答えとしてこのように表しました。
※「やりたいこと」と言った時に、ゲーム、グループライン(SNS)、寝るなども出てきがちですが、ここの趣旨とは違い、ややこしくなるので省きました。
(学びラボ 若狭 喜弘)
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