[6月に発送した便りです]
学びラボ ロボット教室の生徒はみんな知っているけれど、はじめたての人や来ていない人が知らないことは、
●「学ぶ」とは、教えてもらうことではなくて、自分から理解しに行くこと。
●ロボットを作るときにやっていること。
①テキストにはロボット作りのすべてが書いてあるのでじっくり読む。
②順番に考えて、一つ一つ試して、自分の知識や能力を積み重ねていく。ロボットの動きの順番も考える。「適当に」では作れない。
③式を計算することが苦手でも逃げない。国語、算数・数学、物理(理科)が必要。
④簡単にできることだけをやっていないで、少し難しそう・面倒そうに見えて避けていたことにチャレンジする。楽しむ。
【学ぶ】
通ってきてもらっているところは、「学びラボ ロボット教室」です。「学びの場にしてほしい」と願って、この名前を付けました。
教室の名前は別にして、これまで教室に来てくれていた生徒を思い起こすと、「学校の学ぶとはまったく違うよ」と言っても、「学ぶ」をいつまでも受け入れられない人がいました。学校でなじみが深い授業の「学ぶ」が非常に強力で、どうしてもほぼ毎日受け身になりますから、習慣化してしまって仕方ない面があります。
「学ぶ」とは、教科書などにある正しい情報を知ることなどの勉強のほか、「なるほど、そういうことなんだな。じゃあ次からこうしよう」と自分の行動を決めることです。
今回伝えたいのは、後者の話です。知識を学ぶ話は、授業で聴く話がおもしろいと思ったら学べばいいし、テストがあるからと仕方なく学んでもいいし、やりたいこと(例えば部活のスポーツのルール、トランプのルール、ゲームなど)に必要な情報は言われなくても自分から調べに行くのでここで書くことはありません。なお、やりたいことだと言っても、ルールなどを調べる気にならないなら、それはやりたいことではない可能性が高いです。
①自分の行動を決めるために「学ぶ」
「学ぶ」のは、みんな経験してきています。
赤ちゃんがことばを覚える時。赤ちゃんが立つ時。歩く時。自転車にはじめて乗れた時。逆上がりができた時。
学校での「教えてもらう」のではない方法で「学ん」でいます。ほめられて、笑顔で反応してもらえて、できるようになって満足しました。
別の「学ぶ」もあります。
おやつを勝手に食べて怒られて、「こうやったから見つかったんだ」と次のやり方を考えた時。食事のときに大皿に盛られた鶏のから揚げを「一人1個だよ」と言われていたのに無視して2個食べて怒られた時。プールの授業があることを当日の朝に言ったら水着が見つからなくてプールに入れなかった時。夜遅くまでゲームをやっていて次の朝起きられなかった時。
怒られないよう、やりたいことができなくならないよう、自分が不利にならないよう、次回からの自分の行動を考えます。絶対にダメなことはダメだとわかるし、自分がちょっと考えて、行動を少し変えるだけでずいぶん快適になることもあります。料理の場合は、一人2個ずつにしてくれるように頼むのも一つの方法です。
これも、「学ぶ」です。
ロボット教室でも似たことが起こっています。
テキストの最初に書いていたのにまったく注意していなくて、いらないパーツが刺さっていて、動かなかったり暴走したりするのは誰もが1度は経験します。
使ってはいけないパーツを使ったり、逆向けにつけて電気を逆に流してパーツを壊したり、力の限りネジを回して壊してしまったり、ロボットの前方がどちらかわからなくなったり、前に動かそうとしたら横に動いたり、プログラムを適当に変えたら何が何やらわからなくなったり、「パーツやテキストが何でか(理由がわからないけれど)無い」「持ってくるの忘れた」を何度もやったり。
同じ間違いを何度もする人が中にはいます。
うまく動かなかった理由をわかる範囲で説明しても、今後同じことがテキストに出てくると話しても、「とにかく今動けばいい」と対処法しか耳に残らない人もいます。学校でも同じことをしているのじゃないかなあ。もしかすると、よく怒る怖い先生のときだけキチンとしているのかもしれないですが。
(怒って怖がらせて学ばせるのは、どんな理由があってもダメです。軍隊や服従させるのと同じです。本当に危険な行動を止める時には、恐怖で身体が動けなくくらいの声を出すことはあります。)
「次はここに注意しよう」と思って行動を変える人は「学んだ」人で、変えない人は「学ばない」人です。
赤ちゃんの話や食べる話は、みんな「学ぶ」という印象がありましたが、ロボット教室の話は「学ばない」人が確実にいます。赤ちゃんの時や食べることは生きるために必要なので「学び」、ロボット教室や学校はそこまで必死にする必要がないと無意識に区別して「学ばない」のかもしれません。
別の理由としては、家では好きに行動してほめられるだけで、食べ物への勝手な行動を怒られることが無かったり、どんな無理なことを言ってもお願いを実現してもらっていて、「学ぶ」経験をさせてもらえず、自分の行動を変えて次のときにうまくいかせるといった発想が無いのかもしれません。この場合は本人の責任ではないですが、自分の行動に無自覚で無責任なままです。どこかで必ず学ばないといけないです。しくじっても許してもらいやすい若いときに経験しないとはもったいないことです。
②心地良いことを求め、不快を避ける
赤ちゃんがことばを覚える時や赤ちゃんが立つ時などは、自分の能力が上がってできることが増えるし、ほめられるし、自信がついて、とても心地良いことです。
おやつを勝手に食べて怒られた時やプール用の水着が無くてプールに入れなかった話は、不快に感じて次回からはこんなイヤな思いをしたくないと避けたくなります。
「学ぶ」というのは、心地良いこと楽なこと、不快なことがどんな時にどうしたら起こるかを知る体験をして、今後心地良いことをもっと経験するよう、不快なことを経験しないよう行動を決めた判断のことです。人間は「快・不快」で判断しています。
AIの機械学習はまさにこれです。うまくいった行動をしたときには点数を与え、うまくいかなかったら点数が変わらないか減点します。AIの学習効率を高めるためには、とにかくたくさん経験させ、点数が与えられる行動を探させることです。AIと一緒にしないでほしい、とは思いますが、人間の「学ぶ」と同じですね。
心地良いこと、不快なことで学び、次のやり方を決めたとしても、別の場面で失敗やうまくいかないことが起こります。でもそのたびに、次の判断(自分のやり方を決める)をするのが、「学ぶ」のが上手な人です。
もちろん、誰でも毎回「失敗したくない」とは思っていますが、心地良い経験も、不快な経験も、とにかく数多く経験することです。この数の多さが「経験値」で、経験値が多ければ多いほど、もっとうまくいきます。
「絶対に失敗してはいけないとき」はどうしましょうか?
悪魔の証明のようですが、少しはヒントになるものを探しましょう。
AIと同じように、それまでに経験を多くしておくことです。そして、「うまくいった方法」を組み合わせて用意するだけです。それでも不安を感じます。どうしたらいいでしょうか?自分としてできることを考えて行動したらいいのです。人によって出てくるアイディアと実行できることに違いはあるでしょうが、「リハーサルをする」「ほかの人の意見を聞く」など、手間を惜しまなければ方法はかならずあります。
こちらの意味の「学ぶ」は、教えることはできません。本人が見つけるしかありません。周りの人としては、「好きになってもらう」「必要に迫られてもらう」が考えつきますが、本人以外にどうしようもありません。
そして、「自分は何とかできる」という根拠のない自信や「これはどうなっているんだろう?」という際限のない好奇心を育ててほしいです。
そのためには、周りの人(親など)は、手も口も出さず、答えを教えるのではなく、工夫したところなどの話を聴いたり、一緒に調べるのがいいですね。結果を見て、良い悪いと評価したり、弱みを見せないように強く振る舞うこともありますが、どちらもよい影響を与えません。
『車輪の再発明』の話はご存じですか?文化や技術がきちんと伝わっていなかったため、世界のあちこちで、もしくは何度も『再発明』した、という話で、「優秀な人の頭脳とお金の無駄な使い方の例」として話されがちです。
でも、ある会社の特許を避けるために、別の会社の人が同じ目的のための新しい方法を発明するというのはよくある話です。
「学ぶ」も同じです。教科書にはきれいな結果が載っていますが、最初から順番に、考えたり、実験したりして自分で発見しないと、本当に理解できません。これが「学ぶ」ということです。何度でも『発明』したらいいのです。無駄にはなりません。
③間違っていたら嫌なので考えない?
私がどうしたらいいかわからないタイプの人のことも書いておきます。いいアイディアがあれば教えてください。
ロボット教室のテキストを、プラモデルの組み立て説明書的にしか読めない人、「テキストの枠内にサインペンで好きな色を塗りましょう」はできるけれど、「プログラムを書き換えて画面の好きなところに好きな色を塗りましょう」ができない人がいます。
これらのタイプの人は、確実にできることや完成品だけを与えられてきて、できあがったロボットをおもちゃとして動かして遊ぶことにしか興味が無く、パターンやルールを発見・理解する発想が無いのかな、と推測しています。正解に最短で近づかない確実でないことをするのは、無駄だと思うのでしょうか。頭を使うのはコストがかかることですし、間違ったら嫌な気分になるし、やりたがらない心理もわかります。
ロボット作りは、論理的に考えたらたいていのことは解決します。あるときある生徒の話です。うまくいかなかったようだけれど、ルールをもとに原因から対策まで順番に考えている様子が見られず、行き当たりばったりの適当なことをやっていたように見えました。なぜそうするのか、今後ほかの人が同じ間違いをしたときに、ちょうどよい説明をするための情報が欲しくて、「どれをどう考えて、そうしたの?」と質問したらその生徒は黙ってしまいました。間違っていても、自分の意見を説明することはできるし、してほしいなあ。
その原因は、考えていないというよりは、自分が考えることを自分が許していなかったり、論理的に考えて条件を狭めながら試行錯誤で発見したり気づく発想が無いのでしょう。先の生徒に、考えるヒントを繰り返し伝えていましたが、声としては聞こえていたようですが、内容はまったく伝わっていませんでした。人間はそもそも、自分が考えていないテーマについては、どれだけ丁寧に説明されても理解できません。
理解できないと判断すると、仕方なく指示された行動だけをしようとします。今では、指示をしたがる人が増え、指示されるのを待つ人も増えています。現在、このタイプの人が多いのは事実です。指示された行動だけをした方が、脳を使わなくてもいいし、自分に責任がないので「楽」です。繰り返しているうちに指示待ちの行動パターンが身につきます。これも「学び」です。面白さをまったく感じませんが。
もしかしたら、テキストについてくる「正解」、先生が答える「正解」だけが正解で、違っていてはいけないと思い込んでいるのかもしれません。考えた人の数だけ「正解」があります。プログラムが短い、美しい、わかりやすいなどの違いは出てきます。
どうやったら、乗り越えてくれるのでしょうか。手助けする準備はしているのですが。
④ロボット教室で「学ぶ」経験をたくさんしてほしい
「学びラボ ロボット教室」では、ロボット作りの正しい情報や技術を学んでもらっています。
さらに、「学び方」もいろいろ試して学んでもらいたいのですが、どうでしょうか?
私たちがどんな支援をしたら、あなたはもっと学べますか?
(学びラボ 若狭 喜弘)
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