ロボティクスプロフェッサーコースに来ている人には、これまで毎年「夏休みの自分のミッションを決めてやりきろう」と自主研究を勧めてきました。
「自主的に」やってもらうものなので、義務という言い方はしていません。
そのためか、何かを完成させたという結果をまだ聞いたことがありません。
なお現在、ロボット教室内で、独自のロボット開発に取り組んでいる人が一人います。
学校や塾で出される宿題は、
「宿題を出す先生の気持ち」はわかるけれど、私の学生時代を振り返って
「自分に必要なことだ」と思って取り組んだことがありませんでした。
全部やらなきゃと思って提出していましたが。
ブロックで作るロボット教室でも講師をしています。
そこでの会話やロボプロの生徒さんとも話していて、共通して「はてな?」と思うことがあります。
ゲームをする時間、テレビを観る時間が異様に長く感じます。
ゲームや漫画を買うために使うお金が大きいように思います。
もちろん、私を含めた大人も子供時代を過ごしてきたので、テレビ、漫画、ゲームや昔ながらの外遊びもしてきました。
だから今の子供たちだけを責められないのですが、何か変に思います。
今の大人の子供時代にも、こんな価値観があったのじゃないでしょうか?
『やらされていること以外ヒマ』
学校の授業や宿題など、 「義務を終わらせたら『自由』」 となっていないでしょうか?
だから、お金も時間もどんどんつぎ込んでいるように思えます。
学校の授業も宿題も、楽しいこともあるでしょうが、「枠の中で期待されていることに応えられるか」 を考えて行動します。
テストという、評価されて、間違ったことを責められる場もあります。
大人でも、それらの時間外は息抜きしたくなります。
社会人になって給料を受け取るようになっても、「ガマン代」 と考えてしまうのは、子供時代のこのような経験が積み重なっているからです。
今子供たちには、「やらされる」 ことがあるから 「自由」 があります。
このままだと、「やらされる」 がなくなったら 「自由」 もなくなります。
実のところ 「自由」 でもなくて、「勝手にしていい」 状態です。
テレビ、漫画、ゲームは習慣になっているだけで
おそらく 「やりたいこと」ではありません。
このままいくと 「自分がやりたいこと」 がわからない大人になります。
どうしましょうか?
家庭でも、学校でも、塾でも、ロボット教室でも、誰もが子供たちには幸せな人生を歩んでほしいと思っています。
「自分がやりたいこと」 がわからない大人は幸せではありません。
私たちは、子供たちのために、どうしましょうか?
ひとつの提案です。子供たちに、このようなことができるように関わってみるのはいかがでしょうか?
①自分で決める。
②やりたいことをやる。
③やりたいことを見つけるために、いろいろやってみる。
④やめてもかまわない。
⑤やめること、失敗することに罪悪感を持たない。
⑥周りの人、ほかの人と比べない。
⑦周りの人は、成長を一緒に喜ぶ。
⑧周りの人は、選択肢を広げることを言うのはいいが、自分の価値観からのアドバイスをしない。
今の小学校の何が 「やらされるところ」 と子供たちに思わせる仕組みになっているか、私にはわかりません。
学校の先生も努力していただいています。
それでも、現状はこうなっています。
学校の先生より密にかかわれる家庭や塾では、「①自分で決める。」 からはじめたいですね。
大人も、「やりたいこと」 をやること、「①自分で決める。」 からです。
※<受験生を応援する気持ちからの余談>
実際に切実な話として入試勉強は、自分の人生を自分で考える貴重なタイミングです。
子供が自分で決めることができて、
重点的に勉強することを自分から学校でも塾でも先生に個別に相談できれば、
勉強をしやすい環境を見つけ出すことができて、
少々レベルの高い学校にもチャレンジできます。
もっとも、入試で人生のすべてが決まるのではなくて、
「入試」 と 「やりたいこと」 は全く別物なので、合格しなくても別の場所で 「やりたいこと」 ができます。
というか、入試にかかわらず 「やりたいこと」 が 「やりたいこと」 です。
もし、その学校にしかないものだったら、 「やりたいこと」 のためにがんばってください。応援しています。
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