「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育
榎本博明:心理学博士、MP人間科学研究所代表
https://diamond.jp/articles/-/245339
この記事へのリンクが紹介されていた。興味ある分野なので読んだ。
同じような状況に僕も立たされているはずなのに、
榎本さんの問題意識が入ってこない。
おそらく、榎本さんにとって自明なことが僕にとっては自明でないからだろう。
・テストの問題文の意図を理解できない生徒がいる。
・それは「実用文の読み方」を知らないのかもしれない。
・もしくは、そういうテクニックではなく、「文章への向き合い方(?)」といった、マインドの可能性?つまり「気がない」?
・自分がわかることをわかるように書いているときには、勘で対応できる。
・自分がわかることをわかるように書いていないときには、「わからない」と、問題を捨て、考えるのを捨て、自分を捨てる。
・「文学作品を読んで、実用文を読めるようになる」は本当か?
・文学作品の選び方は、人それぞれだから、「これがいい文章だ」と課題図書を与えるのはいいことか?楽しんで読むのが一番。
・読書体験でいい思いをしてこなかったから、読んでこなかったのだろう。だとしたら、学校は、先生は、教科書は、文科省は、家庭は、社会はどうする?
・その分析と対応策なしに、「文芸作品を読んでくれ」というのは虫が良すぎる。
・一方で、「実用文だけ」「文芸文だけ」に分けてしまうのは、高校生で「理系」「文系」に分けるようなもので、愚の骨頂。
・「スキル、知識をが足りないのだから、それを教えたらいいのだ」という発想を両者ともしている。愚の骨頂。
榎本さんは、教育の現場で、すべての教科で「先生が物語を語ることで教育している」と考えている?
「知らないんだったら、教えたらいいんだ」も間違い。
榎本さんが、「本当に役立つ教育の場の築き方」を知っているのだったら、教えてほしい。
僕は、日本の教育が変なところに迷い込んでいる、ある問題を解決すると別の問題が顔を出す、といった、特に子供たちの行動原理が根本的に変なことになっているように感じている。
(それは大人の社会の反映)
僕にできることは何だろうか?
出会っている子供たちから、ヒントを受け取って、解決する方法を見つける努力をするしかないのか。
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